わたし、たまに、あの家も、この家も、もとは一人の女の人と一人の男の人が出会ったところから始まったんだと考えると、こわいなと思うことがあります。なんでだろう?政治家の人が、家族がなんとかとかいうたびに思うのです。その家族っていうものはもともとは(たいていの場合は)一人の人と人が出会って、びびびっとくるのかなんなのか知らないけど、恋をして結婚して子どもをつくって家を買って、そんなふたしかで一生に一度あるかわからないようなことのつみ重ね。わたしがこうやって日記を書いているのも、あの政治家の人がテレビの向こうでえらそうに口をひんまげてあーだこーだいえるのも、その、びびびっ、って感じから始まったんでしょうか。やっぱり家族が一番だね、の、家族、も、家族のきずなを大事にしましょう、の、家族も、そんなふたしかであえかな空気みたいなものなのかな。そう考えると、ばかばかしくて笑えてきます。近所の遊歩道をわたった先にある大きな庭付きのごうていも、とうめいなお城に見えます。クラスの子が何人かで集まって、3組のなんとかくんかっこいいよね、5年生で同じクラスになれないかななんて話してるところを見るのもばかばかしく思えます。わたしはもう10才で、お母さんから好きな子いないのってたまに聞かれるのですが、そういう人は全然いないしクラスの男子はやさしいけどそういう感じじゃないし、あんまりよくわかりません。もう10年も生きてるのに。お母さんの3分の1くらい生きてるのに、まだわからないそういう感覚がきっかけになって家が建って、子どもが生まれて、家族がどうのこうのってツバを飛ばしながらねつべんしたり、背もたれにふんぞりかえって結婚しろよってヤジを飛ばしたり、そんなことができるってことなのかな。
わたしはときどき不安になります。お母さんもお父さんも、あの白い屋根のおっきい家に住んでる人も、みんなそういう感覚、この人と一緒になって子どもをつくって暮らしていこうと思う気持ちを経験していて、わたしだけ取り残されてるんじゃないか。ほんとは全然違う世界の人なのかも。これはわたしの目下の一番の問題なのだけど、お母さんに言っても、きっと早く宿題やりなさいの一点張りで聞いてくれないんだろうな。宿題はもう、とっくに終わったんだけど。